暇になったらはじめよう々という先送りの癖ほど悪いものはない

「お金が貯まらない」という悩みは、貯金をはじめる時期にも、大きく影響されています。たとえば、とある兄妹の場合、お兄さんは、大きな怪我のために、大学進学を諦めて19歳から働きはじめました。妹は、兄の怪我がきっかけで医大へ進みました。

ここで、兄は19歳で就職すると、年に20万円を積立投資に回して、それから8年間だけ続けた後は、お金を追加せずに、それまでの160万円だけを、投資に置いたままの状態にしておきました。一方で、妹は26歳で就職すると、兄と同じものへ、年に20万円の積立投資をはじめ、それから40年間続けることにしたのです。妹の投資金額は800万円になるわけです。

こうして40年間が過ぎ去りました。いまでは、兄は66歳、妹は65歳になっています。兄も妹も、この40年間「投資がいくらになっているのか?」なんて、まったく考えずに、仕事に打ち込み、人生をエンジョイしてきたのです。2人がラッキーだったのは、長い目で見れば株式市場が好調であったために、投資したものが年10パーセントの割合で上昇してくれたことです。

そして、ジルが65歳になった年の大晦日に、2人は、すっかり忘れていた投資の口座が「いくらになっているのか?」を確認することにいたしました。「私は160万円しか投資しなかったが、妹は800万円も投資したから、きっと妹の口座には、5倍のお金があるんだろう」と兄が言いながら、2人で一緒に明細書を開いてみると、あら不思議!160万円しか投資していない、兄の口座は1億350万円ですが、800万円も投資した、妹の口座は8,850万円だったのです。

つまり、兄は妹の5分の1のお金しか使っていないのに、1,500万円も余分に儲けている計算になります。兄と妹は、まったく同じものへ投資しているので、2人の違いを生み出した唯一の要因は「兄が8年だけ早くはじめた」ということに尽きるのですが、この差額こそが「先送りの癖」による代償です。

財産形成で重要なのは時間であると覚えておけば役立つ

「お金が貯まらない」というのであれば、浪費癖に気をつけて、無駄遣いをなくすことが先決です。たとえば、1日150円のペットボトルを我慢して、毎日150円だけ貯め込んでいくと、45年後には、246万円になります。これだけでも、大した進歩であるわけですが、ここから、さらに一歩進めて、この1日150円を、積み立ての形で投資に回したといたしましょう。仮に、同じ1日150円を年に12パーセントずつ上昇する投資で回せば、45年後には1日150円が1億円になってきます。

ただし、兄と妹のお話では、たった8年の遅れが、1,500万円もの差額となって現れたように、投資では「時間」というものが大切になります。たとえば、1日150円を年に12パーセントずつ上昇する投資で回せば、45年後には1億円になります。しかし、たった1年間スタートを遅らせただけで、44年後には8,910万円にしかなりません。1,090万円もの差額が生まれてしまうのです。

この点からすれば「お金が貯まらないこと」の原因としては、「先送りの癖」ほど厄介な習慣はないということになりますが「先送りの癖」というのは、想像以上に抜け出すことが難しい習慣です。「時間がないから、明日にしよう」なんて「先送りの癖」を正当化する理由は、いくらでも転がっているものです。大体、時間が余っている人なんていませんから。

「平日は6時半に家を出て、帰宅するのは9時。週末には、子どもと野球をするって約束したし、町内会の大掃除も入っている。」「この間、ゆっくり投資について考えようと思っていたら、虫歯が痛くなって、それどころじゃなくなった。」「大体、明日の締め切りがあるっていうのに、45年も先のことを考えられるほど、暇じゃないよ」という具合です。

こんな感じで、「まだ、若いから、1年くらい遅らせたって、どうってことないや!」と考えがちですが、1,090万円はどうってことないでしょうか?「先送りの癖」にもっともらしい理由をつけることは簡単です。しかし、重要なことは、今すぐはじめることなのです。学校では、宿題を忘れたら「明日持っていらっしゃい」と言われますが、お金の場合には「時間」が「金額」へ変わってくるため、今日1日の遅れが「大損」につながるものなのです。

20世紀最大の発見「複利効果」を知っておこう

天才科学者のアインシュタインが「今世紀最大の発見とは複利効果である」と語ったことがあります。単利とは、単純な金利のことで、たとえば、金利が年間7.2%であれば、1年後には100万円が107万2,000円になります。

複利とは、利息を再投資していく方法です。1年後には107万2,000円と単利と変わらなくても、7万2,000円が再投資されるので、翌年には114万9,184円、翌々年には123万1,925円になります。

たとえば、「100万円が10年間に渡って7.2%で上昇する」という場合には、10年後には100万円は107万2,000円になります。一方、「100万円が10年間に渡って毎年7.2%で上昇する」という場合には、10年後には100万円は200万円になっています。前者は「単利」なので、100万円×1.072=107万2,000円と計算されますが、後者は「複利」なので、100万円×(1.072)の10乗=200万円と計算されます。

複利効果を計算するには「72÷利回り=年数」という有名な「72の法則」があって、お金が2倍になるための「利回り」と「年数」を示します。今の例では「利回り」が7.2%だったので、「年数」が10年と計算されます。

この「72の法則」を応用すれば、1626年にニューヨーク・マンハッタン島を24ドルの品物と交換したネイティブアメリカンが、仮に年利7.2%で運用していた場合、383年後の2009年末には、24ドルは8兆1,270億9,679万ドルになったことが分かります。両者の明暗を分けたのは「たんす預金」か「投資口座」かの違いでしかありませんが、仮に「投資口座」を利用する場合には「時間」が重要になってきます。

なお、投資対象の基本とされる「国内株式」「国内債券」「海外株式」「海外債券」の4資産に関しては、1970年~2009年までの40年間では、それぞれ7.4%、6.1%、7.2%、5.5%というような年率上昇率となっています。仮に、4つを均等に持っていれば、年率6.6%になっていたということになります。この程度までなら、十分に実現可能ということです。

こうした4資産などを使って毎月少しずつ投資をスタートし、じっくりと時間をかけて複利効果を利用することが、アインシュタインを驚かせた「20世紀最大の発見」の成果を実践することにつながります。

— posted by 有働 at 03:52 pm  

勘ぐりはよくない!他人の言動や行動を深読みしない

「廊下ですれ違う時に会釈をしたのに無視された・・・」「声を掛けたのに返事をしてもらえなかった・・・」こんなことがあると「自分は嫌われているのではないか?」と勘ぐりたくなるのもムリはない。「無視という行為が何らかの意図のもとに故意になされたのだ」という前提を無意識のうちに受け入れてしまい、たまたま気づかなかっただけだとは中々考えにくいものである。

だが、自分自身のことを考えてみよう。例えば、忙しくて頭がパニック状態にある時に廊下ですれ違いざまにぶつかった。謝ろうと思いつつも言葉にならないうちに急ぎ足で通り過ぎてしまったとか、考えごとをしながら歩いている時に声を掛けられて「あっ」と思った時には通り過ぎてしまっていた・・・などということはないだろうか。

私自身、目が悪いのに加えて空想癖があるため、知人とすれ違っても気づかないことが多く、またすれ違う直前に向こうから挨拶されて「あっ、何々さんだ!」と相手を認識した瞬間には通り過ぎてしまったりして、挨拶を返すタイミングを逸する。こちらが挨拶しても知らん顔で通り過ぎる人に対しては「どういうことなのだろう・・・」とその真意を疑いたくなることがある。

満員電車で人の足を踏んで謝りもしない者に対して常日ごろ「何と非常識な!」と強い憤りを感じているAさんが、駅に着いて人混みをかき分けながら何とか降りようという際にうっかり足を踏んでしまった相手に対して謝るタイミングを逸するということもあり得る。そして「あんなに混んでいたのだから仕方ない」と自己弁護する。

人間には、一般に自分のマイナスの行為に関しては状況のせいにするのに、同じ行為でも他人によるものは、その行為者の人間性のせいにしたり、何らかの意図があっての行為と解釈する傾向がある。これが人と人との間に誤解を生じる原因となることが少なくない。状況要因によるもので、何の悪意もない同僚や上司の言動を深読みして、

「あの人は私のことをバカにしている」

「きっと私は左遷されるのだ」

というように否定的に解釈すると、その相手に対する態度も居直りや悪意に満ちたものになって、本当に相手から否定的な感情や評価を引き出すことになってしまう。他人の言動は深読みしがちであるということを肝に銘じて、その意味を多少割り引いて解釈するよう心がけるべきでしょう。

— posted by 有働 at 06:52 pm  

自分の役割を型にはめ込まない

夫婦関係のトラブルに関する相談を見ると、どうも役割行動の硬直化に原因があるのではないかと思われるケースが少なくない。家庭生活を平穏に乗り切るために夫も妻もそれぞれの家庭内の役割を意識した心理的構えのもとにそれにふさわしい行動をとる。それは必要不可欠のことではあるのだが、役割行動があまりにもワンパターン化するのは問題である。

例えば夫が帰宅する。そこに待っているのは妻という役割をもった女性である。子どもがいれば母という役割をもった女性である。そこには恋人という役割をもった女性などいない。しかし、この夫には以前は恋人という役割をもった女性(現在の妻あるいは母としての役割をもった女性と同一人物として)がおり、その女性の前では自分も恋人としての役割にふさわしい心理的構えおよび行動をとっていた。今はそれが失われている。このような夫婦関係においては、どちらかに恋人としての役割行動への郷愁が湧いてきた時が危機となる。

それを防ぐには、役割行動の硬直化に。陥らない工夫が必要である。親としての会話しかない夫婦はもちろんのこと、夫婦としての役割行動のやりとりが家庭の維持に関するものばかりで、恋人同士としてのトキメキがないという夫婦は、試しに二人でおしゃれでもして町に出かけてみよう。景色を楽しみながらの散歩でもいいし、雰囲気のよい喫茶店でコーヒーでも飲んだり、ムードのあるレストランやバーで軽くアルコールを入れるのもよい。昔恋人同士であったころの気分を思い出すような空気を夫婦の間に創り出すのである。

同様に、職場の人間関係が堅苦しくてストレスとなるという者は、職場のさまざまな役割関係の中にプライベートな空気を吹き込む工夫をしたらよい。上司に対しては部下としての役割のみに徹しなければと思い過ぎたり、お得意さんに対しては業者としての役割のみに徹しなければとの思いが強過ぎたりするのが問題なのである。上司やお得意さんに対してであっても、お茶目な人間としての面、趣味人としての面など、自分の中の仕事上の役割と関係のない面を出せるようになるとずいぶん楽になる。

職場の人間関係がストレスとなっている者には、対等な立場の同僚との間にさえも自分の中の仕事上の役割に関係ない部分を出すことのできない者が多いようである。役割関係の硬直化を防ぐには、上司と部下、買い手と業者といった役割関係をちょっと抜け出した会話をするのが基本といえる。そこにそれぞれのプライベートな面が顔を出す。プライベートな心の触れ合いは、お互いの心理的距離を縮める。それはまた、役割関係に則った行動をより気持ちよくとることにもつながるのである。

— posted by 有働 at 01:06 pm  

役割行動をうまくこなせば人間関係はスムーズになる

ある男性が帰宅する。居間には妻と子どもがいる。そこでは妻を「おかあさん」と呼び、自分を「おとうさん」と呼ぶ。やがて子どもが寝て夫婦二人きりになると、妻に対して「○○子」と名前を呼び捨てにし、自分を指すのに「俺」とか「僕」とかを使う。

この場合、単に言葉遣いが違うだけでなく、それぞれの場面におけるこの男性の自分のかたち、いわゆる心理的構えも異なるはずである。子どもと一緒の場では「父親」の役割を意識した心理的構えをもち、それにふさわしい言動をとる。夫婦だけの場では「夫」の役割を意識した心理的構えをもち、それにふさわしい言動をとる。このようなその場の役割にふさわしい行動を役割行動という。

この男性も、職場ではまた違った役割行動をとることになる。例えば、課長という役割にふさわしい行動をとる。だが、職場のようないろいろな役割が錯綜する場では、誰もが多くの役割行動を場面に応じて使い分けなければならない。

部下の前では上司としての役割を意識した行動をとり、上司の前では部下としての役割を意識した行動をとる。同僚と一緒の時は対等な仲間あるいはライバルとしての役割を意識した行動をとり、得意先からの訪問客の前では世話になっている業者としての役割を意識した行動をとる。

このように複数の役割行動を場面に応じて自由自在に操ることができないと、社会生活を無事に送ることはできない。われわれはふだんそれほど意識していないけれども、ほとんど自動的に役割行動の切り替えをたえず行っているのである。その証拠に、同時に複数の役割行動を要求されるような状況に置かれると、言動がぎこちなくなる。

たとえば、上司と部下の双方と一緒の時は、それぞれに対する部下としての役割と上司としての役割を同時に意識しなければならないので、上司だけあるいは部下だけと一緒の時のように自由に振る舞えない。あるいは、得意先からの訪問客と業者の顔でへりくだって話しているところに自分の部下がやってきて、その部下と訪問客が友人同士であり対等に話し始めた時など、この上司はとるべき役割行動が混乱し、窮屈な思いをするはずである。

このようなケースでは、日ごろ自動化している役割行動の切り替えがうまく機能しなくなるため、心理的にも行動的にも動きがぎこちなくなるのである。逆にいえば、日常の人間関係、特に職場の人間関係を円滑に進めていくためには、その場その場での自分の役割、すなわち場面による自分の役割の変化を敏感に察知し、それにふさわしい行動をとる能力が欠かせない。

たいていはこうした役割行動の切り替えは自動化しているものだが、職場の人間関係をうまくこなせないという者は、この場面による役割とその変化を意識し、自分の切り替えの仕方に歪みがないかどうかチェックしてみたらどうだろう。

— posted by 有働 at 12:04 pm  

行動を共にすると相手に好感を抱く不思議

昼休みやアフターファイブに一緒によく食事したり飲みに行ったりする人たちの顔を思い浮べてみよう。かなり好感がもてる人たちが多いはずである。中には同僚だから仕方なく一緒に出かけること、か多いけれども、価値観がまったく違うので好意より反発を感じているという相手もいるだろうが、「根は悪い奴じゃないのだろうが」くらいの好意はもてるのではないか。

行動をともにする者に好感を抱く者が多いのは、好感をもっているからこそ一緒に食事したり遊びに行ったりするのだから当たり前のこと、行動をともにすることで好きになるのではなく、その逆ではないかという意見もあろう。もちろん、そういった面が強いのは事実である。だが、その逆の面もあるのである。

こんな心理実験がある。この後に共同作業をしてもらう相手のプロフィールがあるとして、ある人物のものの見方・考え方に関するデータを見せ、その人物に対する印象を問う。別の被験者たちは、特に会うことのない人物としてある人物のプロフィールを見せられ、その人物の印象を答える。この実験により、同じプロフィールであっても、この後に一緒に作業をする相手であると思い込まされた場合の方が、その人物の印象は肯定的なものとなることが示された。これから一緒に作業をすると思うだけで好意が生じたのである。

さきほどの常識的見解のように、好意をもっているから一緒に活動するというのが一般的である。したがって、好意をもたない者と一緒に行動するのは気持ちよいものではないはずである。「好意をもつ人と一緒に行動する」という文は頭の中にすっきり収まるが、「好きでない人と一緒に行動する」という文はどうも収まりが悪い。人間は矛盾を含む文を頭の中に刻んでおくのを嫌う。そこで、「一緒に行動する」という部分が書き込まれると、その前の部分はできるだけ「好きでない人」でなく「好意を感じる人」と書きたいという気持ちが無意識のうちに働く。

その結果、一緒に行動する人、あるいは一緒に行動すると予想される人に対する好意が生じるというわけである。同じ部署の人物同士のまとまりをつけるにも、ペアを組ませて仕事させたり、グループ作業をさせるのが有効といえる。どんな人物でも、好ましい面だけでなく、ちょっとどうかなと思ってしまう好ましくない面ももっているものである。一緒に行動しなければならないと思うだけで、相手の中の好ましい面に着目する心の構えができあがるのである。

— posted by 有働 at 01:37 am